この世界の片隅に

私のお気に入り度 ★★★☆☆ (78点)

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【あらすじ】 1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。(作品の詳細はこちら


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広島に原爆が投下される前後の市民の日常生活を、カウントダウン式に追っていく。画面の一角に出る年月日があの日に近づくにつれ、「ああ、やめてェ」と思わずにはいられなかった。地獄の悲劇が待ち受けているのを知っているから、「広島から一刻も早く離れて!少しでも遠くへ逃げて!」 と、心の中で何度叫びたくなったことやら。


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私の祖父母や小学生だった両親は田舎に暮らしていたので、空襲の直接の被害は受けなかった。が、市街地の大空襲で家や家族や身体の一部を失った人々が、軒先に寝かせてくれないか?何か食べるものを…と、夜な夜なやってきた。家の電灯を布で覆ったり、白い壁を黒く塗ったりした。空襲警報が鳴るたびに、大事な家財を積んだ大八車を引いていき、人間は頭巾をかぶって防空壕に飛び込む、これの繰り返しだったという。小学校の校庭はさつまいも畑になり、家の中にある金銀鉄などは、武器生産のため供出した。赤紙(召集令状)が来れば、役場の兵事係や在郷軍人や村の人々に続き、婦人部は割烹着+もんぺにたすき掛けで、日の丸の旗を持って戦地に送り出した。祖父は満州やジャワ島へ、大叔父はサイパン島へ、それぞれ出兵。祖父は帰って来たが、大叔父は26歳の若さで散華した。


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物資がなくなり空襲の頻度が高まる中でも、人々はずっと防空壕に篭っていた訳ではなく、ご飯を食べ会社に行ったり畑へ農作業に行ったり、買い物をしたり洗濯したり、絵を描いたり歌ったり喧嘩したり、憲兵にスパイと間違われたことを家族で大笑いしたりして、ごく普通に暮らしていた。明日どんな悲劇が待ち受けているのか?なんて、誰も知らない。誰にも分からない。


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爆弾で晴美が一瞬にして消え、すずも右手を失う。そんな残酷で絶望的な状況になっても、それでも生きていかなくてはならない。何としてでも生き延びねば。戦争が終わったあとも、豊富な生活の知恵と持ち前の楽天的な性格で、すずは淡々と生きていく。一瞬で消えた晴美を思いつつ。命の重みや尊さは、計り知れない。この尊い命を、そうそう簡単に奪われてたまるものですか。

もう少し高い評価点をつけたかったのですが、絵柄(風景は素晴らしいけれど、人物の顔)が今一つ好きになれなくて…。


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by amore_spacey | 2017-10-05 01:34 | Comments(0)
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