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戦場のピアニスト (The Pianist)

私のお気に入り度 ★★★★☆ (86点)

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【あらすじ】 1940年、ドイツ占領下のポーランド。ユダヤ人のラジオ局ピアニストWladyslaw Szpilman(Adrien Brody)は家族と共にゲットーへ移住した。やがてユダヤ人の収容所移送が始まったが、家族の中で彼だけが収容所行きを免れ、空爆を受けたワルシャワの廃墟の中、食うや食わずの潜伏生活を送る。
 しかしある日とうとう、彼はドイツ人将校Wilm Hosenfeld(Thomas Kretschmann)に見つかってしまった。Wladyslaw Szpilmanの自叙伝『ある都市の死』(Śmierć miasta)を映画化。2002年のカンヌ映画祭でPalme d'Or、2003年のアカデミー賞の監督賞・主演男優賞・脚本賞を受賞。(作品の詳細はこちら


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ピアノが登場する映画。先日の夜、ふっとまた『真夜中のピアニスト』を観ていたところ、ピアノの音色から本作品のことを思い出し、再鑑賞しました。Szpilmanを演じたAdrien Brodyの父Elliotはポーランド系ユダヤ人、母Sylviaはハンガリー&チェコ系ユダヤ人で、父はホロコーストで家族を失い、母は1956年のハンガリー動乱の時にアメリカに亡命していたことを、鑑賞後に調べて知りました。

Adrienにとってホロコーストは、自分の人生の一部のようなもの。「撮影中は本当に疲労困憊(こんぱい)した体験だった。その後の1年間は極度の鬱状態にあった」とコメントしているが、それは想像を絶する辛さがあったと思う。運が良かったと言うしかない、とても運に恵まれていた。しかしそれが却って、恨めしい。あれほど生きることに必死だったのに、自分だけ生き残った罪悪感や申し訳なさに苛(さいな)まれ、ホロコーストの悪夢にうなされ続ける。可哀相にあの頃のAdreinは、21世紀に生きながらホロコースト真っ只中の日々を送っていました。


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事実を受け入れることしかできない一市民を、Adrienは抑えた演技で見事に体現したと思う。一家離散のあと必死に生きのびようとする姿や、代役なしで臨んだピアノ演奏シーンは圧巻だったし、ドイツ人将校たちの吐き気のするような暴虐ぶりや、廃墟となったワルシャワの町などは、映画のセットとは思えないほど臨場感に溢れていた。

また1個のキャラメルを売り歩く子どもを見た父が、「こんな状況の中で金を稼いで何になる」と言いながらも、キャラメルを買い求め、6人の家族のために等分するシーンや、ドイツ将校と出会う前に見つけたピクルスの缶詰を、片時も手放さないSzpilman。目前に迫っている悲劇をおぼろげながら知りつつも、何とかして生き延びたい彼らの生への執着や貪欲さ、そして殺害されることへの恐怖が、これらのシーンに凝縮されて、居たたまれなくなった。生きる、これは人間の本能。


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冒頭のノクターン第20番、終盤のバラード1番、そしてエンドロールを飾る華麗なる大ポロネーズ。ショパンは、ポーランドに生きるすべての人々に愛される音楽家なのだなと、あらためて思った。ドイツ将校の前での演奏は、今まで黙って背負い込んでいたものを全て表に出すかのような、音に委ねた彼の独白だったに違いない。終戦後、再びラジオ局でノクターン第20番を弾く時の、彼の表情が忘れられない。解放の喜びも束の間、無念の思いに感極まる。それをそっと押し殺して弾き続ける彼に、胸が押しつぶされそうになりました。


by amore_spacey | 2018-11-02 01:21 | - Other film | Comments(2)
Commented by petapeta_adeliae at 2018-11-04 20:04
キャラメルを家族で分けてるシーンはハッキリ覚えています。
これ実話なんですよね。
余りに記憶が曖昧ですが、助けてくれたドイツ軍人が捕虜になり、
その妻が彼に手紙を書いて、助けを乞うているのにピアニストは
助けてあげなかったのか、あげられなかったとピアニストの
息子さんが本に書いていたと読みました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/クリストファー・W・A・スピルマン
Commented by amore_spacey at 2018-11-05 17:15
☆ ソーニャさんへ。
Adrienたちが建築現場で食べていたお弁当も、お腹を満たすにはあまりにもひどいものでしたよね。

ドイツ人将校についてはこちらをご参照下さいね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Wilm_Hosenfeld
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