君が望むものはすべて (Tutto quello che vuoi)

私のお気に入り度 ★★★★☆ (83点)

e0059574_2534576.jpg
【あらすじ】 ローマの下町に暮らす22歳のAlessandro(Andrea Carpenzano)は、不良仲間とつるんで無為な日々を過ごしている。ある日彼は喧嘩騒ぎで、警察の厄介になってしまった。そんな息子に業を煮やした父親(Antonio Gerardi)は、85歳になる詩人Giorgio(Giuliano Montaldo)を散歩に連れ出す仕事を見つけてくる。
初めはいやいやだったが、やがて詩人の人柄に惹かれていき、彼との散歩が楽しみになってきた。Giorgioの家に何度も通うようになったAlessandroは、ある部屋の壁に十字架とGiorgioの書いた詩を見つけた。それを手がかりに、GiorgioとAlessandroと不良仲間たちは、宝探しにトスカーナの小さな村へ向かう。(作品の詳細はこちら


e0059574_2552375.jpg
e0059574_254937.jpg
e0059574_2542472.jpg
「ボケた爺さんの散歩の相手?冗談じゃねぇよ」と思ったAlessandroが、Giorgioの世界にぐいぐい引き込まれていく。老詩人の存在が彼の中で、どんどん大きくなっていく。その描写がいかにも自然で、心にすっと入ってきた。基本的には心根の優しい人たちだから、観終わったあとじんわりと温かい気持ちになる。

Giorgioは初期のアルツハイマーで、色々なことをすぐに忘れてしまうし、途中で話の辻褄が合わなくなったりすることなど日常茶飯事。だけどユーモア溢れる素敵な紳士で、ちょっととぼけた言動(本人はいたって真面目)が、これまたお茶目で可愛いのです。そんな彼の前では、突っ張ったAlessandroも調子が狂ってしまう。


e0059574_2543731.jpg
e0059574_2544758.jpg
e0059574_255165.jpg
Alessandroの母親は彼が幼い頃亡くなり、間もなく父親に恋人が出来て、3人一緒に暮らしている。甘えたい母親はいないし、父親はさっさと新しい女を作ってよろしくやっている。彼にしてみれば、家に帰っても心の拠り所はなく、自分だけ置いてきぼりにされた疎外感しかない。人の温もりや愛情に飢えている。だから不良仲間とつるんで、怒りや寂しさを埋めるしかない。

けれどGiorgioと親密になるにつれ、Alessandroの乾いた心は潤い始め、頑な心がどんどん自由になっていく。自分が老詩人を助けているとばかり思っていたのに、頼りにしていたのは実はAlessandroだったんだなァ。Giorgioならボクの話を聞いてくれる、彼なら分かってくれる。封印していた様々な思いが一気に噴出して、Alessandroは老詩人の膝の上で子どものように泣きじゃくる。ああ、目頭うるうる、思わず私も泣きそうになりました。


e0059574_2551359.jpg
不良仲間たちがこの家にふらりとやってきて、そのままたむろすようになっても、人を信頼出来るGiorgioは追い払ったりしないし、勝手に色んな部屋に出入りしても、頭ごなしに叱ったりしない。いやいや、それどころか一緒に話をしたりゲームをしたりして、楽しい時間を過ごす。小さな楽しみを見つける達人なのです。住む世界も世代も違うのに、借りたライターを見て、「おや、ローマのファンなのかい?私も好きなんだよ」とさりげなく、距離を縮められる頭の良さ。こんなおじいちゃんがいたら、来なくていいと言われても、毎日通っちゃうね。Giorgioに出会ったAlessandroや不良仲間たちは、まったくしあわせな奴らだ。


 
[PR]
# by amore_spacey | 2018-03-26 02:57 | - Italian film | Comments(0)

妻と夫(Moglie e marito)

私のお気に入り度 ★★★☆☆ (70点)

e0059574_0302866.jpg
【あらすじ】 脳神経外科医Andrea(Pierfrancesco Favino)とテレビキャスターSofia(Kasia Smutniak)は結婚して10年になり、2人の幼い子供がいる。傍から見れば幸せな家族だが、子育てや仕事に忙殺され、離婚を考えるほど2人の関係は悪化し、夫婦でカウンセリングを受けていた。Andreaは同僚のMichele(Valerio Aprea)と一緒に、互いの思考を移転できるような機械を研究している。が、ある日それを使って、Sofiaと2人で試験的に実験をしていると、突然不測の事態が起こり、気がついたら互いの体と心が入れ替わっていた。(作品の詳細はこちら


e0059574_0304263.jpg
身体が入れ替わったり、子どもの頃に戻って小さくなったり(子どもが大人になったり)する作品は、アメリカ映画やアニメではよくあるが、イタリア映画では珍しいかもしれない。バカバカしいと思いつつ、Pierfrancescoの演技を楽しみにしていた。互いに入れ替わってしまったとはいえ、社会生活は通常通りなので、当然あちこちでトラブルが発生する。フェミニストだったSofiaが、番組の中で突然フェミニストを叩きはじめ、スタッフはビックリ仰天で大慌て。一方AndreaはMicheleと進めていた研究の資料を、Micheleの許可なくライバルに渡して、研究を横取りされてしまう。


e0059574_031202.jpg
e0059574_0311019.jpg
e0059574_0305855.png
この手の映画の見所は、入れ替わったあと、どれだけ入れ替わった当人らしく振舞うか?どんなトラブルが起きるか?元に戻ることができるのか?にあると思う。特に入れ替わった役者の演技力次第で、作品が面白くも退屈にもなる。Sofia扮するKasiaが演じたAndreaは、う~ん、かなり痛々しいものがあり、お尻の辺りがむず痒くなってくる。Andrea役のPierfrancescoのSofiaは、期待を裏切らずウィットに富んで、分かっているのにいちいち面白おかしく、彼のお陰で作品として何とか成り立ったんじゃないかとさえ思う。まぁ、女性が男性を演じるより、男性が女性を演じたほうが、意表を突いて面白いのは確かだけど。

ゴツくてマッチョで厳(いかめ)しいPierfrancescoが、綺麗で可愛らしい女性を演じる。彼のフィルターを通した女性像は、定番でありがちなんだけど、実に上手く笑わせてくれる。彼の舞台Servo per dueを観た時も思ったが、演じることが本当に好きで仕方がない、人を笑わせたいというエネルギーやエンターテイナー魂に満ちている役者だ。


e0059574_0313326.jpg
e0059574_0314655.jpg
互いの思考が移転できる機械。これがね、当事者たちは大真面目なんだけど、小学校の夏休みの科学研究で作ってみました的な代物で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクなら、嬉々として飛びつきそう。あれを撮影用に作った人も、愉快なキャラなんだろうなと思わせる。

Sofiaのメイク役の青年(画像下)が、なかなか良い味を出していた。すごく綺麗でイケメンだけど、少々女っぽくて、やる気があるんだかないんだか?のダルい雰囲気が、彼そのものでいいんだわぁ。これ、誰?名前は?ちょっぴりJonathan Rhys-Meyersに似て、官能的なオーラがダダ漏れなのに、世の中投げてる風なところがチグハグでおかしい。


[PR]
# by amore_spacey | 2018-03-23 00:35 | - Italian film | Comments(0)

道 (La strada)

私のお気に入り度 ★★★★☆ (80点)

e0059574_0551315.jpg
【あらすじ】 純真で誠実だが少々頭の弱い娘Gelsomina(Giulietta Masina)は、貧しい家族の食い扶持を繋ぐため、旅芸人のZampanò(Anthony Quinn)に売られた。彼の助手となって旅に出るが、Zampanòは粗暴でよく暴力を振るい、挙句の果てには彼女を力尽くで妻にしてしまう。Gelsominaのやさしさも、彼には通じない。彼女は新しい生活にささやかな幸福さえ感じていたが、Zampanòの態度に嫌気が差して、街へ逃げていった。そこで出会った陽気な綱渡り芸人(Richard Basehart)が奏でる、ヴァイオリンの哀しいメロディに引きつけられ、彼と親しく口をきくようになる。1954年ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を、1956年アカデミー最優秀外国映画賞を受賞。(作品の詳細はこちら


e0059574_0555926.jpg
e0059574_0554545.jpg
e0059574_0561880.jpg
中学生の頃、この作品を初めて観た。まるで子どものようなGelsominaが、愛らしくいじらしくも、「なんだってあんなクズ男に、いつまでもくっついているんだろ」 物のように邪険に扱われても、Zampanòの傍を離れなかったのが、ただもう不思議で仕方がなかった。私の中では、野獣のようなZampanòが、100パーセント悪の権化だったから、夜の浜辺に這いつくばって慟哭するラストシーンは、動物が狂ったように泣きわめいている、恐ろしい光景だった。


e0059574_0563747.jpg
e0059574_0565316.jpg
e0059574_0581073.jpg
ところがどうだ、今回2回目の鑑賞で、ラストシーンにガツーンとやられた。Zampanòに、愛おしさを抱いた。彼の気持ちが、今なら痛いほど分かる。生まれながらにして不器用で寂しがり屋なのに、喧嘩っ早くて強がりばかり言う。弱音が吐けない、本音も言えない。典型的な昭和生まれの男だ。無骨で子どものような彼が、綱渡り芸人と仲良くするGelsominaに嫉妬したり、雨の日の納屋で彼女と過ごす時間がまんざらでもなかったり、修道院でお代わりを断る彼女に、「もっと食べなよ」と言ってくれたり、最後にはスパゲッティを茹でてくれたり…。それが彼なりの愛情表現だ。Zampanòは彼女に惚れていた。忘れようとしても忘れられなかった。ぞっこんだったんだよ。

「同じ土地に何年もいると、情が移ってしまう」という修道女の台詞は、人間関係にも当てはまる。一緒に暮らしているうちに、小さな絆が芽生え情が湧いてくる。Zampanòのようなタイプの男は、母性本能も刺激する。傍目には不思議なカップルかもしれないが、彼らは互いに無くてはならない存在だった。あんな幕切れだったが、2人は十分に幸せな時間を過ごしていたと思う。夫婦のことは、他人にはホントに良く分からないもんですから。人生も人の心も、一筋縄ではいかない。愛おしく切なくて、哀しくやるせないです。


e0059574_0575010.jpg
e0059574_0582548.jpg
e0059574_0583968.jpg
Gelsominaのテーマとも呼べるあのメロディー。どこにでもありそうな、シンプルなメロディーが、登場するたびに少しずつ輪郭を帯び始め、何とも言えない感傷的な気持ちを呼び覚ます。そしてこのメロディーは、洗濯物を干す若い女が口ずさむ歌となって、決定打を放つ。この辺りから涙腺がゆるみはじめ、鼻の奥がツーンと痛くなる。住所も携帯番号もLINEも知らないが、あのメロディーこそGelsominaのIDそのものだった。メロディーの美しさ、そしてこのメロディーの使い方の上手さよ!


[PR]
# by amore_spacey | 2018-03-19 01:08 | - Italian film | Comments(4)

聖なる鹿殺し (The killing of a sacred deer)

ネタばれあり!!!

私のお気に入り度 ★★★☆☆ (72点)

e0059574_1163263.jpg
【あらすじ】 心臓外科医のSteven(Colin Farrell)は、有能で美しい眼科医の妻Anna(Nicole Kidman)と二人の子供たちKim(Raffey Cassidy)・Bob(Sunny Suljic)と、郊外の豪邸に住んでいる。しかし16歳の少年Martin(Barry Keoghan)を家に招いたことをきっかけに、子供たちが突然歩けなくなり、目から赤い血を流すなど、異変が起こり始めた。家族を救うためStevenは、究極の選択を強いられることになる。Euripidesによるギリシャ悲劇『Iphigenia in Aulis』(神の聖なる鹿を殺してしまった父の罪を償うため娘が犠牲になる話)を基にしている。第70回(2017年)カンヌ国際映画祭で、脚本賞と70周年記念名誉賞(Nicole Kidman)を受賞。(作品の詳細はこちら


e0059574_1164439.jpg
真っ暗闇の中に突然、ドクドク脈打つ心臓。まるで一匹の生き物のように、開胸された中で激しく鼓動する。すぐにそれは手術のシーンと分かるが、「エッ、何これ?」 誰もがぎょっと身構える、衝撃的なオープニング。不吉で嫌ぁ~な気持ちになる。ヤバいことが起こりそうな不安を常に孕んでいて、気が抜けない。目に見えない危険が、そっと忍び寄ってくる。心理的な恐怖をじわじわ与え続け、ざらざらした感情を引き起こす。これがラストまで容赦なく続くから、観終わったあとの吐き気や激しい疲労感といったらなかった。心身ともに磨り減った、そんな疲れ方でした。


e0059574_117045.jpg
e0059574_1171181.jpg
e0059574_1184831.jpg
性に繋がる会話や描写(Nicole Kidman、ナイス・バディ!)が端々に出てきて、艶かしくドロドロした生臭さも感じる。誰もが羨むような、非の打ちどころのない幸せな家庭。のはずなのに、みんながどこか他人行儀で、愛情やぬくもりが感じられない。性的に何だかズレている夫婦。子どもたちも、不自然で子どもらしくない。夫(=少年Martinの父)亡きあと、息子(=Martin)を求めるようになったり、夫を手術したStevenに淡い恋心を抱き、再会した彼の美しい指を舐めるMartinの母親。地下室に監禁したMartinの前に跪いて、足にキスするStevenの妻。みんな、一体どうしたんだ?登場人物の誰もが、変で気味が悪い。


e0059574_119760.png
e0059574_1191924.jpg
e0059574_1195535.jpg
薄汚れた妖しいエロスや儀式めいた描写が、中盤あたりから加わり、気味の悪さは更にエスカレートして、皆(Bobだけがマトモだったかも)が狂っていく。「父を殺した代償」というMartinの呪いが、心臓外科医の家庭をじりじりと追い詰め、崩壊に導いていくのだ。呪いのような超自然的な力が、今やこの一家を支配し、誰にも止められない。登場人物もストーリーも音楽(『ハンニバル』を彷彿させるが、煽り立て方が鬱陶しい)も気持ちが悪い。この作品には情けや赦しや希望が微塵もなく、人生投げ出したくなる。

Martinを演じたBarry Keoghanくん、1度見たら忘れない顔だ。コイツ、何か良からぬことを企んでいる、そう思わせるに十分な容貌でした。冬彦さんのようにキモくて不気味。25歳、恐ろしい子。

太い垂れ眉毛で困った顔がキュートなColinが、今回は窮地に追い込まれて、本当に困ってしまった。少年の不吉な暗示にかかって、エリート外科医がじわじわと狂っていく過程が、凄まじく生々しいほどリアルで、狂気に満ちたあんな汚れ役をよく引き受けたもんです、Colin。でも素晴らしかった。駄々っ子Colinなんて、もう誰にも言わせないから。


[PR]
# by amore_spacey | 2018-03-17 01:23 | - Other film | Comments(2)

心の陽だまり (Tous les soleils) 

私のお気に入り度 ★★★☆☆ (75点)

e0059574_048219.jpg
【あらすじ】 大学でイタリアバロック音楽を教えるかたわら、病院を訪ねて朗読のボランティアをしているイタリア人Alessandro(Stefano Accorsi)は、15歳の娘Irina(Lisa Cipriani)とアナーキストの兄Luigi(Neri Marcorè)とストラスブールで暮らしている。娘が生まれて間もなく妻を亡くしたAlessandroは、男手一つで娘を育ててきたが、思春期を迎え恋する年頃になったIrinaを、いつまでたっても子ども扱いする。それが彼女には鬱陶しくてたまらず、2人は些細なことでよく衝突した。そんな折Alessandroは、彼を慕っていた入院患者Agathe(Anouk Aimée)の葬儀で、彼女の娘Florence(Clotilde Courau)に出会う。(作品の詳細はこちら


e0059574_0483292.jpg
e0059574_048503.jpg
e0059574_049375.jpg
L'ArpeggiataのLuna Lunedda(←音が出ます)に合わせて、Alessandroが乗る電動自転車が、ストラスブールの街中をスイスイ軽快に駆け抜けていく。一緒に踊りたくなるような、とても素敵なオープニング。音楽が鳴り終わっても、あのリズムが頭の片隅でリフレインしている。大学では好きなイタリアバロック音楽を教え、家に帰れば、反抗期真っ只中の娘や風変わりな絵描きの兄(ベルルスコーニ政権に反抗して、自分を政治亡命者だと主張する)たちとの、喜怒哀楽や思いやりに満ちた暮らしがある。末期患者のために病室で本を朗読するボランティアしたり、アマチュア合唱団で歌ったり、友人たちにも恵まれている。


e0059574_0491673.jpg
e0059574_0492681.jpg
毎日スケジュールぎっしりだから、独り身の寂しさを感じない。そうすることで、心の奥底に封印している深い悲しみや喪失感を、他人に悟らせない。人を癒したり幸福にする心優しい存在なのに、彼自身は他人に気持ちをオープンに出来ない。亡き妻との思い出に囚われて、そこから出られない。たとえ恋をしたとしても、娘や亡き妻を裏切るようで、良心の呵責に耐えられそうにない。Alessandroは古風な人間なのだろう。


e0059574_0494065.jpg
そんな彼がFlorenceに出会い、少しずつ心が潤っていくのを感じる。張り詰めていた自分の内側が、柔らかく優しくなっていく。Agathe(彼女を演じたAnouk Aiméeの存在感!)への想いを通して、AlessandroとFlorenceは互いに心を寄せ合うが、そこでも亡き妻の存在が彼を引き留める。末期患者に愛を朗読し、アマチュア合唱団でも愛を歌う。愛が一番必要なのは、彼なのに。何ためらっているの!今でしょ!


e0059574_0495032.jpg
シャイな彼は自分の気持ちを、歌に託した。愛を詠った中世のシチリア民謡Silenzio D'Amuri(←音!)を独唱するAlessandroが、とても切なく愛おしい。「好きだ」の一言より、遥かにロマンチックで洒落ている。郷愁に包まれた清らかで純朴な歌に、胸を打たれた。アルザス地方の古い町並み、そこに暮らすイタリア人、様々な愛の形、中世のシチリア民謡。これらがほどよく溶け合い、遠い過去と現在が見えない線で、ふっと繋がる。小さな、けれど新鮮な感動だ。またストラスブールに行きたくなってきたなぁ。

ただね、イタリア語のタイトルNon ci posso credereが・・・。Alessandroの口癖からとったものと思われるが、やっつけ仕事で残念すぎる。次回はフランス語のオリジナル版を観たい。


[PR]
# by amore_spacey | 2018-03-15 00:53 | - Other film | Comments(0)